もっとホンダ(HONDA)が好きになる!バイクで行くおすすめ旅行スポットご紹介

並べておかれるホンダのバイク

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世界のHONDAの創業者・本田宗一郎のものづくりの理念と情熱の原点。

静岡県浜松市にあるおすすめ観光スポット「本田宗一郎ものづくり伝承館」をご紹介!

HONDAのバイクに乗りたくなる。もっとホンダを好きになる本田宗一郎の魅力。

初めて買うバイクはHONDAのバイクにしたいと思った!

大切な人と一緒にドライブやツーリングで行きたくなる観光スポット!!

「本田宗一郎ものづくり伝承館」の施設紹介

本田宗一郎とHONDAの歴史が分かる資料館の写真

ご利用案内

  • 開館時間:10:00~16:30
  • 休館日:月曜日、火曜日(祝日は開館し、翌日水曜が休館日)、12月29日~1月3日
  • 住所:〒431-3314 静岡県浜松市天竜区二俣町二俣1112
  • HPアドレス:http://www.honda-densyokan.com
  • 入場料:無料

「本田宗一郎ものづくり伝承館」の見どころ

最も印象的なのは、「私の手が語る」と題した本田宗一郎の左手のパネル

本田宗一郎の写真と左手の特大展示パネル
「私の手が語る」
ハンマーをふるうのは右手
左手は陰になっていつも犠牲になる
だけど左手があるからこそやれる

日本と世界を驚かせ続けた創造力と、その発想を形に変える技術者としてのたゆまぬ努力。

本田宗一郎を支え続けた左手の傷。

そのひとつひとつにまつわるエピソードが紹介されている。

本田宗一郎の人間味あふれるエピソード

施設2階には、本田宗一郎の人柄を知れる言葉(本田語録)が数多くの展示されています。

本田宗一郎の言葉が書かれた展示パネル

“天才的”な技術者であり、“情熱的”な経営者、そして“人間的な魅力”あふれる本田宗一郎。

65歳で社長を引退した後、ホンダを支えてくれた従業員に直接お礼を言いたいと、1年半をかけて日本全国と世界のホンダ事業所や営業所、工場を1つ1つ回ったそうです。

全国行脚中は、従業員の1人1人と握手して有難うと感謝の言葉を伝えます。

ある時、従業員と握手を交わそうとしたところ、従業員が手をパッと引っ込めてしまいました。

仕事中で、自分の油まみれの手に気づいて握手をためらったんです。

本田宗一郎の言葉
「いや、いいんだよ。その油まみれの手がいいんだ。俺は油の匂いが大好きなんだよ。有難う!」

本田宗一郎は、従業員の油汚れで真っ黒な手を両手で受け止めて握手すると、自分の手に付いた油のにおいをクンクンと嗅いだそうです。

確かな腕を持つ「ものづくり精神」に溢れた技術者としてだけで無く、従業員から親しみを込めて“おやじさん”と呼ばれた「人となり」で、今も多くの経営者から尊敬される人物。

企業人としても多くのエピソードと言葉を残しています。

魅力人・本田宗一郎の「人となり」「ものづくり精神」

言わずと知れたHONDAを世界的企業へと育て上げた本田宗一郎の人としての魅力溢れるエピソードと言葉をご紹介。

本田宗一郎の顔写真
本田 宗一郎(ほんだ そういちろう)
生誕:1906年11月17日
出身:静岡県

原点は、6年間の丁稚奉公の後に、故郷である浜松で独立。
本田技研工業株式会社を設立し、二輪車の研究をスタートさせたところから始まる

仕事について
『自分が幸福になるように働け』
『会社の為に働くな。自分が犠牲になるつもりで勤めたり物を作ったりする人間がいるはずない。だから会社の為などと言わず自分の為に働け』
チャレンジ精神について
『やってみもせんで何をいっとるか』
『人生は見たり・聞いたり・試したりの3つの知恵でまとまっているが、多くの人は見たり・聞いたりばかりで一番重要な試したりをほとんどしない』
アイディアについて
『困れ。困らなければ何もできない』
『どんなに小さくても気づいたこと、思ったこと、観たことを仲間に話したり伝えてみよう。アイデアは出てくるし勇気も出てくる』
信頼できる企業について
『製品というのは決して嘘ができない』
『人間は失敗する権利をもっている。しかし失敗には反省という義務がついてくる』
人間観について
『世の中で一番素晴らしいものは若者のエネルギーだよ。こりゃあ進歩の原動力だ』
『世間では、大人なの言いなりになる子や大人の考えの枠から飛躍しようとしない子がいい子であり、自分の意思を堂々と主張したり、個性的な考え方や行動をする子を悪い子というレッテルをを貼りがちである。けれども私は逆だ。世間でいう「悪い子」に期待している。なぜならそういう子供こそ個性に溢れ可能性に満ちた本当の意味のいい子だからである』

魅力人・本田宗一郎を知れば知るほど、その「人となり」に惚れて、またHONDAという企業への愛着が沸いてきます。

藤沢武夫・本田宗一郎を「世界のHONDA」にした名参謀

藤沢武夫は、本田宗一郎さんと共に二人三脚で本田技研工業(ホンダ)を世界的な企業に育て上げた人物。

HONDA(ホンダ)を語る上で、欠かすことができないもう一人の人物。

藤澤武夫の顔写真
藤沢武夫(ふじさわ たけお)
生誕:1910年11月10日
出身:東京都

技術の天才である本田宗一郎を、経営の天才として常に支え続け、ホンダのNo.2として、実質的に経営のすべてを取り仕切っていました。

名参謀・藤沢武夫がいなかったら、本田技研工業が小さな町工場のままで終わっていたことを、当の本田宗一郎さん自身が認めていたほど。

藤沢武夫
「あの人の話を聞いていると、未来について、はかりしれないものがつぎつぎに出てくる。それを実行に移していくレールを敷く役目を果たせば、本田の夢はそれに乗って突っ走って行くだろう、そう思ったのです。」
本田宗一郎
「技術については口出ししないでくれ。その代わり、俺はカネのことは口出ししない」
「おれは一度も会社の実印を見たことがない」

出会いの瞬間から意気投合した2人。
それは引退の時も一緒でした。

副社長・藤沢武夫が本田宗一郎に自身の引退を伝えた時の言葉。

本田宗一郎
「二人いっしょだよ、おれもだよ」

お互いを支え合い、お互いにどれだけ信頼を寄せていたのかが感じられるエピソード。

ホンダ(HONDA)のバイクの特徴は?

施設1階には、世界のホンダの原点となる生み出されたバイクやエンジンが展示されています。

HONDAのモーターバイク
ホンダC型(1949年製)はホンダ初のモーターバイク
「日米対抗オートレース大会」にホンダとして初の公式出場して優勝を飾る

本田宗一郎の言葉の一つ一つがHONDAのバイクの魅力にもつながるんだと感じました。

HONDAの歴代のモーターバイク

HONDAのバイクの特徴は、乗り心地、丈夫さ(壊れにくい)、利便性、燃費の良さなど、バランスの良い車種が多いこと。

その信頼感から、元祖バイクメーカーとして、国内バイクメーカーの中では売上高第1位。

HONDAのスーパーカブ
スーパーカブ(C100)(1958年製)は60年以上の歴史を持ち世界各国で活躍
四輪、二輪を含めて世界で最も多く量産されている大衆車両

デザインについても万人に受けるような見た目を積極的に採用する特徴があり、乗り手を不安にさせないバイク作りが得意なメーカーでもあります。

「本田宗一郎ものづくり伝承館」で現在展示中のバイクはこちら

「本田宗一郎ものづくり伝承館」まとめとオススメ本の紹介

本田宗一郎と藤沢武夫の写真

従業員を大切にして、確かな技術力でオートバイとF1レースにも突き進み、共に世界制覇。

レースで培った技術を、顧客が安全で快適に乗れるモーターサイクルのために奮闘する様は、読んでいて爽快で気持ちの良い人だなと感じました。

本田宗一郎の「人となり」「ものづくり精神」に触れられて、HONDAという企業を深く知れる観光スポット。

自然と、初めて買うバイクはHONDAのバイクにしたいなぁと思った。(筆者はバイク免許がありません)

そして、本田宗一郎と藤沢武夫の二人の関係を思い浮かべると、バイク好き同士がツーリングする姿と重なって、バイクやツーリングって面白そうだなと感じました。

本田宗一郎と藤沢武夫とHONDAについて書かれた本
本田宗一郎とHONDAを知るキッカケをくれた本

実は、本田宗一郎さんについて知ったのは、「本田宗一郎 夢を力に―私の履歴書―」という一冊の本との出逢い。

読書好きの友人が、同じく本が好きな自分への誕生日プレゼントとして渡してくれたことがキッカケ。

興味があったらぜひ本も読んで欲しいですね。この本を贈ってくれた友達に感謝。

みなさんも仲の良い友達や大切な人とドライブやツーリングしながら「本田宗一郎ものづくり伝承館」を訪ねてみてください。

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