『黄色い涙』という映画を見ました。
(注・ネタバレ必須です)
5人の青年が織りなすひと夏の青春群像映画。
自分では経験したことのない時代なのに、なぜか懐かしい気持ちにさせてくれる。そんな映画でした。
舞台は戦後、昭和の高度成長期を向かえるか向かえないかの、まだ日本という国が未熟で、そこに住む人たちも皆がこれからの時代に夢を馳せている様な、そんな時代。
そんな時代にあって、物語の主人公達もみな、漫画家、歌手、小説家、画家と芸術家の卵たちばかり。
ひょんなことからそれらが一同に会し、みなで一つの部屋に転がり込んできては~ああでもないこうでもないと夢や希望を語り合うような、ここではない何かを掴もうと必死な時代だったんだろうと思います。
何もかもが自由な時代。
その自由さゆえに、自分たちのいまある現状や才能にさえいらだち、もがき、その苦しみをまた肴にして友とともに酒を酌み交わす。
時にはけんかをして傷つけあい、時には笑いあって互いをほめあう。
横を見れば、自分と同じ様な姿の友がいて、何かあれば寄り添いあい、一人になれば誰かいないかと探してしまう。
いまの時代と似ていることはあっても、どこか決定的に違う。
人と人のつながりがどこか暖かい、そう感じさせてくれる映画でした。
しかし、そんな友と過ごす楽しい時間も夏を過ぎる頃になると、まるで夢からさめたように現実が押し寄せてくるんです。
『自由とは何か』
『自由とは、好きなことを思う存分好きなだけやることだ!』
と言っていた主人公達も今ある現実が自分達の前に立ちはだかると、一人、また一人と夢を諦め、社会の一員として働き出す。
この映画は、最後がハッピーエンドで終わるような決して楽しいと言い切れる映画ではなかったけれど、変わりゆくもの、変わらないもの、その儚さがいつまでも心に残る映画でした。
気付けば、そんな主人公達の姿を、今ある自分と周りの状況に重ねて見ていました。
そんな思いが湧き起こり、受け止めて、今ある自分と重ね合わせることで、なんだか身の引き締まる思いがしました。そういう意味でもいま見て良かったと、そう思える映画でした。
最後に、夢を諦めて部屋を出ていこうとする主人公の一人が、夢を追い続ける友へ送ったフランスの詩人の詩を書いておきます。
(この詩を読んでみなさんはどんな感想を持つんだろうか。。。)
人生を前にしてただ狼狽するだけの無能な そして哀れな青春だったが
いま最初のシワが額による頃になって得られるのが
人生に対する信頼であり この同意であり
相棒、お前のことなら分かっているよという意味のこの微笑みだ
いまにして人は知るのだ
人生は人を欺かなかったと
人生は一度も人を欺かなかった
(本文引用『無駄奉公』著:モンテルラン/訳:堀口大學(新潮社)
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