愛センターのことを書く前に、ちょうどリアルタイムなニュースを見たので、
こちらのことを先に書きます。
元収容所長に終身刑 ポル・ポト派法廷、初の判決確定
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/world/snk20120204097.html
1970年代に国民の4人に1人、200万人が殺された国があります。
東南アジアのカンボジアという国です。
日本では戦争も終わっている時代、ほんの30年前のこと。
これだけ聞くと「えっ、なんで?!」とか「どうして?!」とか、
はたまた「ひど過ぎる」とか「狂ってる」とか、そんなことを思うかもしれない。
僕自身も、はじめてこの事実を知ったときすぐには信じられなかった。
けど、これは実際に起こった事実。
ここで少しお勉強の時間、
1970年代のカンボジアでは「ポル・ポト」という人が政権を握っていました。
彼が事実上牛耳っていた「クメール・ルージュ(カンボジア共産党)」が政権を握っていた
1975年から1979年の間に、それは起こりました。
どうしてそんなことが起こったのでしょうか?!
そこには、ポルポトが掲げた理想があったからだそうです。
過去からの一切合切を切り離そうとしていたポル・ポト政権にとって、
旧体制文化の名残りでもある人間は、すべて病原菌。
病原菌は、速やかに駆除しなければならないというのが彼らの理論
その対象になったのは、カンボジア国内の知識者、教師、医者、法律家など多くの専門家たちでした。
そして、その大部分が、無造作に一カ所に集められて殺されたそうです。
それが今回の記事にあがっているトゥールスレン(S21)という場所
強制収容所「トゥールスレン(S21)」には、ポル・ポト政権が敵視する知識人らが収監され、
拷問や処刑で2万人近くが死亡、生還したのは7人だけでした。
見学してきた収容所跡には、当時使われた身の毛もよだつような拷問道具が
犠牲者の写真とともに展示されていました。
ポルポトが政権を握っていた当時、
クメール・ルージュは宗教や学校、勉強をすることを禁止したそうです
そうしたことがあって、クメール・ルージュ撤退後のカンボジアでは、
学校を再建しようとしても教師がいない状態が続き、満足な教育ができずにいます。
現在カンボジアには弁護士や検事、裁判官もほとんどおらず、法整備もままならない状況だそうです。
判決が下されるまでに要した年月は33年、
そこには厳しい判決を早期に出すことで更なる内戦の危険を懸念した考えがあった一方で、
法治国家としてカンボジアを再生するための責任を問うことの必要性もあったそうです。
単純な数字だけで考えても33年といわれると、やっぱり長いなと思ってしまいます。
それでも、こうした過去を踏まえて、明るい未来のために長い年月をかけてでも
動くことが決して無駄にはならないと思いたいです。
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