阪神・淡路大震災を通して

阪神・淡路大震災から15年

震災当時12歳だった自分は阪神・淡路大震災をテレビで見ている側の人間でした。

テレビでは、ヘリコプターが被災地の上空を飛びまわって震災被害の大きさを伝える一方で、その横では母親が大阪に住む親戚の家に電話を繋げようと何度も受話器に向かっていたのが印象的でした。

テレビから映し出される、震災によって発生した火の手が燃え上がる町の姿はどこまでも現実味がなくて、まさかあの家の一つ一つに人がいるなんて想像を到底することなくテレビをぼんやりと見ていたのを覚えています。

やっとそのことが想像出来たのは、親戚の安否が確認出来て、その親戚の家でも冷蔵庫やテレビが倒れて色々な物が壊れたことや地震の瞬間の様子を直接いとこに教えてもらった時でした。

それでもひとたび震災の出来事から離れて、普段の生活に戻るとテレビで報道される様々なことがどこか遠くの出来事のような気がして、あの瞬間に『現実に起きている事実』として受け止めることが出来ませんでした。

今でもそうなのかもしれないんです。現にハイチで発生した震災被害のニュースを見ながら、“死者20万人の恐れ”と数字ばかりを目で追って目の前に映し出される人々の姿やその痛みを冷静に見つめている自分がいる。現実に起こっている様々な事件をテレビで傍観することにあまりに慣れすぎている自分が未だにいるようにも思っています。

今回は別にそんな自分を悲観したいわけじゃなくて、純粋に自分のブログを読みに来てくれる人たちにだけでも、この『現実に起きている事実』についてちょっとでも考える、思い起こすきっかけにでもなればと思ってブログに載せてみようと思いました。時間が経てば経つほど曖昧なものになってしまうし、過ぎてしまえば過去のこととしてしまう、本当にそれっていいのかなって思ったんです。

書きながら何度もおこがましいことなのかなって、そう感じることもありましたが載せてみることにしました。

また今回はいつもの音楽の紹介と共に、自分が以前から好きで聴いていて、なおかつ記事を書くきっかけをもらったバンドとそのドキュメンタリーを紹介したいと思います。それは以前からバンドをしながら、阪神・淡路大震災をきっかけに音楽で被災者の人達を元気づけようと演奏を続けているバンドの方たちの姿です。『震災の悲しみを曲のせいにして泣いた』という言葉がとても印象的でした。

今回記事にした阪神・淡路大震災やハイチの大震災を通して辛い思いをされた方が大勢いて、この記事を読むことで再び辛い気持ちを呼び起こしてしまった方には大変に申し訳ございませんでした。けれども、自分にこうした自己を見つめ直すような機会を与えてもらった事に感謝しつつ、また改めまして犠牲になられた方には心からご冥福をお祈りしたいと思います。

小谷建仁

Soul Flower Union / 満月の夕
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