インド旅行記(ガンガーについて考えた編)

ようやく目的の一つであった宿からの景色を眺めると、今度はもっと近くでガンガーを見たいと思って川岸に行くことにしました。

宿から川のほとりまで出る路地は狭くて暗い上に、入り組んでいて迷いそうになりながらも川の匂いのする方へ下っていくと、急に大きく下る石畳の階段があって、その階段を下った先には、ゆったりと流れるガンガーが目の前に広がっていました。

小谷建仁のBlog border=

初めて間近で見るガンジス川を前に、出逢えた嬉しさと、なぜかホッとさせてくれる思いが入り混じって、しばらくは座り込んで眺めていました。

ガンジス河のような存在ってなんだろう?
僕がガンガーについて最初に思っていたイメージ、それは『富士山』

日本人なら誰もが知っていて、時には崇高さを持って拝みもするし、そうと思えば親しみを込めて「富士サン」ってこれは違うか…親しみを持って様々な姿で絵に描かれていたりする。

富士山って日本のどの時代や文化にも常に一緒になっていてくれる存在かなって思うわけです。

その富士山と同じような存在としてインドにあるのが『ガンジス河』なのかなって感じていました。

けれど、実際にインドへやって来て、そのほとりで感じたガンジス河の印象はずいぶんと違っていました。それこそインドの人々の崇高さや親しみをもたれてそこを流れてはいるんですが、ガンジス河の存在ってそれだけじゃなくて、もっと深くてあたたかい、子供の頃に手をつないでもらったり、抱っこしてもらうと安心できた『お母さん』みたいな存在だったんです。

逆に言うと、富士山についてあんまり『お父さんorお母さん』って感覚をあんまり持たなかったんですけど、ガンジス河にはその思いが素直に出て来たんです。

ガンガーです。
小谷建仁のBlog border=

ガンジス河って言った方が分かりやすいんですかね。

悠々と流れるガンガーを眺めながらたくさんの人であふれるガンジス河のほとりに座っていると、すべてを受け止めてくれるその優しさを前に、インドの歴史の深さを肌で感じた様な気がしました。

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